2013年04月28日

合気道開祖 植芝盛平伝 朝来竹田がゆかりの地!!

合気道朝来武育会doc.doc植芝盛平−竹田.tiff合気道は、開祖 植芝盛平翁(1883〜1969)が日本伝統の武術の奥義を究め、さらに厳しい精神的修行を経て創始した現代武術です(合気会HPより抜粋)
合気道開祖植芝盛平伝「武の真人」砂泊兼基著(昭和56年たま出版)を久々に読み返してみると、昭和7年、植芝盛平翁50才の頃に「天空の城ー竹田城」の麓に合気道場を開設されていたという記事が出ていた。その記事を抜粋して少しづつ掲載してみたいと思います。
 『大日本武道宣揚会』P165 6 大陸より帰国後〜
 大日本武道宣揚会は、昭和七年(1932年)八月十三日に、「武は戈(ほこ)を止めしむるの意でありまして、破壊殺傷の術では在りません・・・・地上に神の御心を実現する破邪顕正の道こそ真の武道であります」という設立宣言の趣意によって設置された。
 その役員は、次の通りであった。 総裁:出口王仁三郎 総裁補:出口宇和麿 会長:出口日出麿 導主:植芝盛平
 その本部は、兵庫県朝来郡竹田町におかれ、いよいよ神武の宣揚に活躍することになった。
 ここは山陽線姫路から播但線に乗りかえ、白鷺城を左に見て北にゆくこと約二時間、山陰線和田山駅の一つ手前の但馬国竹田の里である。竹田は山峡の町で、本部道場は町はずれにあって、和田山寄りの広大な敷地である。この屋敷は土地の旧家である酒造家のものであったが、その本邸と六、七軒の屋敷を買いとったものであった。そこは米倉、酒倉が三棟あったが、その中の二棟の内部を整備して道場に作りかえた。米倉が三十坪で六十畳、酒倉が百坪で二百畳あり、六十畳のほうは、後に全国から集まる短期(三、四ヶ月稽古)門人達の合宿所となった。〜以下記載は後日にお楽しみ! 竹田でこんなに合気道が盛んだったとは?!! 
posted by AikidoAsagoTsubakino at 01:11| Comment(1) | 日記
この記事へのコメント
三条 かれ
Posted by at 2013年08月13日 22:25
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